⭐︎坂本龍馬とは?
坂本龍馬は、今から約160年前の江戸時代の終わり(幕末)**に活やくした、日本のとても有名な人物です。
坂本龍馬ってどんな人?
坂本龍馬は、今の高知県で生まれました。
もともとは武士でしたが、「日本をもっと良い国にしたい」と考え、身分や立場にとらわれずに行動した人です。
何をした人なの?
一番すごいところは、ケンカしがちだった人たちを話し合いでまとめたことです。
- **薩摩(さつま)と長州(ちょうしゅう)**という強いグループを仲直りさせました
- これをきっかけに、日本は大きく変わっていきました
- 刀よりも言葉と考えを大切にしました
どんな考えを持っていたの?
龍馬は、こんなことを考えていました。
- 日本は世界と仲良くするべき
- みんなが平等にチャンスを持てる国がいい
- 新しい時代には、新しい仕組みが必要
とても未来を考える力が強い人だったのです。
どうして今でも人気なの?
- 自由に考えて行動した
- こわがらずに新しいことに挑戦した
- 日本の未来のために動いた
この姿が、今の人たちにも「かっこいい!」と思われているのです。
まとめ
坂本龍馬は、
👉 話し合いで日本を変えようとした人
👉 未来を信じて行動した人
👉 今も学ぶことがたくさんある人
⭐︎薩摩、長州は今の何県?
薩摩(さつま)は今の何県?
薩摩は、今の
👉 鹿児島県
です。
昔の薩摩は、とても強い武士の国で、南のほうから日本を動かす力を持っていました。
長州(ちょうしゅう)は今の何県?
長州は、今の
👉 山口県
です。
長州は、新しい考えを取り入れるのが早く、日本を変えようとした人が多くいました。
ひと目で分かるまとめ
- 薩摩 → 鹿児島県
- 長州 → 山口県
ちょっと科学者のひとこと 🧠
日本の南や西にあった力のある地域が、**日本の新しい時代(明治時代)**をつくったのは、とてもおもしろいです。
場所と歴史を結びつけて考えると、覚えやすくなります。
⭐︎どうしてこの2つが強かった?
薩摩と長州が強かった理由は、4つあります。
① 場所がよかったからです
- 薩摩は日本のいちばん南にあり、外国と行き来しやすかったです
- 長州は海に面していて、外国の情報が早く入ってきました
👉 新しい情報が早く入る場所は、考え方も新しくなります。
② お金と力があったからです
- 薩摩は、砂糖や貿易でたくさんお金を持っていました
- 長州は、農業や工夫で国を強くしました
👉 お金があると、新しい道具や武器を買えます。
③ 新しい武器を早く使ったからです
- 鉄砲や大砲など、外国の武器をいち早く取り入れました
- 昔ながらの刀だけに頼りませんでした
👉 強さは「力」だけでなく「道具」でも決まります。
④ 若い人の考えを大切にしたからです
- 身分が低くても、頭がよく行動できる人を活やくさせました
- 新しい意見を聞く国だったのです
👉 これは今の会社や学校にも通じます。
まとめ(ここが大事!)
薩摩と長州が強かった理由は👇
- 🌍 場所がよかった
- 💰 お金と工夫があった
- 🔫 新しい武器を使った
- 🧠 若い人の考えを大切にした
だからこの2つは、日本を大きく動かす力を持てたのです。
⭐︎高知県でどうやって情報を得ていた?
昔の**高知県(土佐藩)**は、今のようにテレビやインターネットがありませんでした。
それでも、人と船を使って、しっかり情報を集めていたのです。
① 商人(しょうにん)から情報を聞いていました
- 商人は、日本中を旅していました
- よその国で見たこと、聞いたことを土佐に持ち帰りました
👉 商人は、動くニュースのような存在だったのです。
② 船を使って遠くの町とつながっていました
- 土佐は海に面しています
- 船で 大阪・長崎・江戸 などに行けました
👉 船は、人・物・情報を運ぶ大切な手段でした。
③ 先進的な町「長崎」の情報が入ってきました
- 長崎には外国人がいました
- 外国の技術や考え方が、日本でいちばん早く集まる町でした
👉 土佐の人たちは、その情報を学びに行ったのです。
④ 人と人のつながりを大切にしていました
- 藩をこえて交流する人がいました
- 坂本龍馬のように、あちこち動く人が情報を集めました
👉 情報は「場所」ではなく「人」が運んでいたのです。
まとめ(覚えて)
高知県(土佐)が情報を集められた理由👇
- 🧑🤝🧑 商人の話を聞いた
- 🚢 船で全国とつながっていた
- 🌍 長崎の新しい情報を学んだ
- 🧠 人の行動力を大切にした
だから、都会ではなくても、
新しい考えをたくさん知ることができたのです。
⭐︎藩とは?
藩とは、**江戸時代の日本で使われていた「国の分け方」**のことです。
今でいうと、**県(けん)**のようなものです。
藩にはだれがいたの?
藩には、こんな人たちがいました。
- 大名(だいみょう):藩のリーダー(今でいう知事のような人)
- 武士(ぶし):町や国を守る人
- 町人・農民:米や物を作ってくらしを支える人
👉 みんなで一つの藩を動かしていました。
藩は何をしていたの?
藩は、小さな国のように、いろいろなことをしていました。
- 税(年ぐ)を集める
- 法律や決まりを作る
- 学校や訓練所を作る
- 外からの敵にそなえる
👉 だから藩は、自分で考えて動く力を持っていました。
どうして藩がたくさんあったの?
昔の日本には、交通や情報の道具が少なかったため、
一つの国で全部を管理するのがむずかしかったのです。
👉 そこで、日本をたくさんの藩に分けて、
それぞれに任せていたのです。
今はどうなったの?
明治時代になると、藩はなくなり、
今のような 県(けん) に変わりました。
👉 これを 「廃藩置県(はいはんちけん)」 といいます。
まとめ(ここが大事!)
- 🏯 藩=江戸時代の県のようなもの
- 👑 大名がリーダー
- 🧑🌾 人々のくらしをまとめていた
- 🗾 今の県のもとになった
⭐︎薩摩と長州の仲直りの他に功績は?
坂本龍馬**の功績(すごい仕事)は、薩摩と長州を仲直りさせたこと以外にも、たくさんあります。
① 日本で初めての「会社」をつくった
龍馬は、**亀山社中(かめやましゃちゅう)という組織をつくりました。
のちに海援隊(かいえんたい)**と名前を変え、
- 商売をする
- 船を動かす
- 人を育てる
という、今の会社のようなことをしていました。
👉 武士なのに、商売を考えたところが新しかったのです。
② 日本の未来の設計図を書いた
龍馬は、船中八策(せんちゅうはっさく)という
「これからの日本は、こうなるといい!」
という8つのアイデアを書きました。
そこには、
- みんなで話し合って政治をする
- 身分に関係なく活やくできる
- 世界と仲良くする
など、今の日本につながる考えがありました。
③ 武士だけの世の中を変えようとした
龍馬は、
「生まれた身分で一生が決まるのは、おかしい」
と考えました。
👉 能力があれば、だれでもチャンスがある社会を目指したのです。
④ 世界を見て日本を考えた
外国の話をたくさん学び、
- 日本は世界の中の一国
- 外国と争うより、学ぶ方が大事
と考えていました。
👉 とても未来的な考えです。
まとめ(ここが大事!)
坂本龍馬の功績は👇
- 🏢 会社のもとを作った
- 📝 日本の未来の計画を書いた
- 🧑🤝🧑 身分にしばられない社会を考えた
- 🌍 世界を見て日本を考えた
だから龍馬は、
「時代を一歩先に進んだ人」
として、今でも尊敬されているのです。
⭐︎どうして若くして亡くなった?
坂本龍馬**は、33歳というとても若さで亡くなりました。
理由は、**暗殺(あんさつ)**されたからです。
何が起こったの?
龍馬は、**京都の「近江屋(おうみや)」という宿で、
仲間の中岡慎太郎(なかおか しんたろう)**と話をしているときに、
突然、正体の分からない人たちにおそわれました。
👉 これを近江屋事件といいます。
どうしてねらわれたの?
龍馬は、
- 薩摩と長州を結びつけた
- 武士だけの世の中を変えようとした
- 新しい日本の形を考えていた
ため、こまる人たちがいました。
👉 「今のままがいい」と思う人にとって、
龍馬の考えはじゃまだったのです。
だれがやったの?
実は、今でもはっきり分かっていません。
いくつかの説(せつ)はありますが、
「この人だ!」と決まっていないのです。
👉 ここが、歴史のむずかしくておもしろいところです。
龍馬は何を残したの?
命は短かったですが、
- 人と人をつなぐ力
- 話し合いで国を変える考え
- 未来を見て行動する姿
を日本に残しました。
まとめ(大事!)
- 坂本龍馬は 33歳で暗殺された
- 理由は 新しい日本を作ろうとしたから
- 犯人は 今も分かっていない
- でも 考えと行動は今も生きている
⭐︎薩摩と長州が仲良くなって何が変わった?
薩摩(今の鹿児島県)**と
長州(今の山口県)が仲良くなったことで、
日本は大きく4つ変わりました。
① 日本のトップが変わりました
それまで国を動かしていた幕府が力を失い、
天皇を中心にした新しい政治へ進みました。
👉 これを明治維新といいます。
② 戦争を少なくして変われました
強い2つが協力したので、
日本中で大きな戦いをしなくても、
話し合い中心で時代を変えることができました。
👉 江戸城も、ほとんど戦わずに引きつがれました(無血開城)。
③ 身分にしばられない社会が始まりました
- 武士だけがえらい、という時代が終わり
- 農民や町人も、努力しだいで活やくできるようになりました
👉 学校に行ける人も増えました。
④ 日本が近代国家へ進みました
- 鉄道・郵便・学校ができた
- 外国と対等に話せる国を目指した
👉 日本は、世界の中の国として歩き出しました。
まとめ(ここが大事!)
薩摩と長州が仲良くなった結果👇
- 👑 新しい政治が始まった
- 🕊 大きな戦争を減らせた
- 🧑🤝🧑 平等に近い社会になった
- 🌍 近代的な日本が生まれた
この仲直りは、一地方の出来事ではなく、日本全体の未来を変えた出来事だったのです。
⭐︎どうやって説得した?
坂本龍馬**は、刀ではなく、考え方と話し方で説得しました。
ポイントは、5つあります。
① どちらの味方もしませんでした
龍馬は、薩摩にも長州にもえこひいきしませんでした。
👉「どっちも日本の大切な仲間だ」と伝え、安心させました。
② 共通のゴールを見せました
「ケンカを続けると、日本が弱くなる」
「協力すれば、日本を守れる」
👉 **同じ目標(日本の未来)**をはっきり示しました。
③ それぞれの“こまっていること”を解決しました
- 長州:武器が足りない
- 薩摩:長州と組む理由がほしい
👉 龍馬は船や商売のしくみを使って、おたがい得をする形を考えました。
④ 顔と顔を合わせて話しました
手紙だけでなく、実際に会って話しました。
👉 表情や気持ちが伝わり、うそがないと分かってもらえました。
⑤ 未来の絵を語りました
「仲良くなった先に、どんな日本が来るか」
👉 ワクワクする未来の話をして、心を動かしました。
まとめ(ここが大事!)
龍馬の説得は👇
- 🧭 中立で信頼を得る
- 🎯 同じゴールを示す
- 🤝 おたがい得する方法を出す
- 👀 直接会って話す
- 🌈 明るい未来を語る
だから、仲の悪かった薩摩と長州も、
「この人の話なら聞いてみよう」と思ったのです。
⭐︎薩摩と長州の藩主は?
薩摩(さつま)の藩主はだれ?
薩摩藩(今の鹿児島県)の藩主は、
島津久光 です。
- とても力のある島津家の人です
- 新しい時代を考え、国を動かす決断をしました
長州(ちょうしゅう)の藩主はだれ?
長州藩(今の山口県)の藩主は、
毛利敬親 です。
- 昔から続く名門・毛利家の人です
- 若い人の意見を聞き、改革を進めました
まとめ(ここが大事!)
- 🟣 薩摩藩の藩主 → 島津久光
- 🟢 長州藩の藩主 → 毛利敬親
この2人の藩主が決断したからこそ、
坂本龍馬の考えが生きて、薩長同盟が実現したのです。
⭐︎薩摩と長州の有名な藩士は?
薩摩と長州には、国を動かした**有名な藩士(はんし)**がたくさんいました。
薩摩(さつま)の有名な藩士
**薩摩藩(今の鹿児島県)**で活やくした人たちです。
- 西郷隆盛
やさしくて強い心を持ち、「日本をまとめる」役目をしました。 - 大久保利通
国のしくみ作りが得意で、新しい日本の土台を作りました。 - 小松帯刀
薩摩を近代化し、若い人を支えたまとめ役です。
長州(ちょうしゅう)の有名な藩士
**長州藩(今の山口県)**で活やくした人たちです。
- 高杉晋作
身分に関係なく仲間を集めるなど、新しい発想の持ち主でした。 - 木戸孝允
話し合いで国を動かすのが得意で、改革を進めました。 - 伊藤博文
のちに日本で最初の総理大臣になり、法律や政治を整えました。
まとめ(ここが大事!)
- 薩摩:西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀
- 長州:高杉晋作・木戸孝允・伊藤博文
この人たちが力を合わせたことで、
日本は武士の国から、近代的な国へ大きく変わったのです。
⭐︎龍馬のようになるには?
坂本龍馬のようになるために、
大切なことは才能よりも行動です。ポイントは6つあります。
① たくさん学ぶ(本・人・世界)
龍馬は、本を読み、人の話を聞き、外国のことも学びました。
👉 「知らない」をそのままにしないことが大切です。
② ちがう意見を聞く
自分と反対の考えでも、まず聞きました。
👉 ケンカより話し合いをえらびましょう。
③ 正しいと思うことを考え続ける
「みんなが幸せになるには?」を考えました。
👉 自分の得より、みんなの未来を考えます。
④ 行動する(小さくでOK)
考えるだけでなく、実際に動きました。
👉 あいさつ、手伝い、発表など、小さな一歩から始めましょう。
⑤ 仲間を大切にする
年上・年下・立場のちがう人とも仲良くしました。
👉 人をつなぐ力が、いちばんの武器です。
⑥ 失敗をこわがらない
うまくいかないことも多かったです。
👉 失敗は、次の成功のヒントです。
まとめ(ここが一番大事!)
龍馬のようになるコツ👇
- 📚 学ぶ
- 👂 聞く
- 🧠 考える
- 👣 動く
- 🤝 つなぐ
- 💪 あきらめない
特別な人になる必要はありません。
「今できることを、勇気をもってやる」
それが、龍馬への一番の近道です。

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